意味 |
町並みが、その地域の風土に合った建築形態や様式を有していることや、地域文化のー断面を象徴するにふさわしい状況であることを条件とし、地域独自の風土や文化を背景とした風格ある町並みとして保存し、後世に継承すること。町並みとは、住宅・商店・問屋・旅館・神社・仏閣・教会等といった様々な用途の建物が、一種もしくは数種で集団となってつくり出す景観、ないしたたずまいのことで、タウンスケープ(townscape)に相当するが、町並み保存は、そうした景観やたたずまいを無条件に維持することではない。つまり、町並み保存といった場合には、保存価値をどの観点から評価し、そうした価値を具備した町並みをどう保存するかが問題となる。一般的に町並み保存といった場合の価値評価は、歴史的観点からなされるととが多く、その中に、建築様式上の価値や建築材料上の評価等を含んでいる場合が多い。したがって、町並み保存といった場合には、歴史的町並みを保存を指すことが多い。雪深い高田(上越市)のガンギ の町屋や白木とすだれの町並みの金沢の例、都市計画事業との関係で保存の在り方が問われた小樽運河のほとりや、各地で起こっている明治洋風建築保存の動きもこれに含まれる。わが国における町並み保存運動の発祥は、1969(昭和44)年、名古屋市有松町で起こった有松の町並み保存運動であり、これは、有松絞りの問屋が並ぶ町並みを保存しようとする運動であった。これに続いて、木曽の妻籠や奈良井宿、奈良の今井町、岐阜の白川等で同様の運動が次々と起こされた。これらの町並みは、そのいずれもが生きた文化財と表現されるように、歴史あるうつわとしての町並みの中で近代的な生活が現に営まれているという共通点を持っている。その意味で、かかる町並みの保存計画は極めて多くの問題点を投げかけている。町並み保存が、住民運動を軸として展開してきたということの事実は、1974(昭和49)年の全国町並み保存連盟の結成が物語っている。保存計画ないし保存行為の点では、1975(昭和50)年改正の「文化財保護法」にその一面が見られる。同法では、歴史的町並みを、伝統的建物群保存地区として選定し保存することにしたが、そこでの保存行為は、ファサード部分の修復保全が中心となっている。1982(昭和57)年現在、重要伝統的建造物群保存地区として、全国の19地区が指定を受けているが、それらの町並みの種類は、武家町6地区、宿場町3地区、商家町4地区、門前町2地区、茶屋町、洋館群,山村集落各1地区である。また、近年では、建設省による歴史的市街地保全整備事業、国土庁による伝統的文化都市環境保存地区整備事業等が施策の面でも出てきており、修復型、リハビリ型都市計画の形態として注目されている。 |