意味 |
"構成上の基本的な特徴をもつフランス平面幾何学式庭園と呼んだり、その創始者である造園家の個人名をとって、ルノートル式庭園と別称される。西洋庭園の基調といわれる幾何学式庭園の集大成ともいうべきヴェルサイユ宮苑に代表されるフランス式は、11世紀のフランスで花ひらき、またたく間に全ヨーロツパに模倣された整形式庭園様式の典型例である。その反動としてイギリス風景式庭園をもたらす遠因となった庭園様式でもある。イタリアでは、すでにルネサンスの最盛期に翳(かげ)りが見えはじめていた16世紀、フランスの国力はようやく上り坂を迎え、イタリア式を導入模倣して、フォンテンブローやサンジェルマンの庭園が、さらに16世紀後半にはチュイルリーやルクサンブールの庭園がそれぞれイタリア式の特徴をもって造営された。いずれも後に、ルノートルら一派によってフランス式に改造された庭園である。17世紀に入るとようやくフランス独自の様式が登場する社会状況となった。中心人物ルノートル(A.Le Notre)は、チュイルリー宮苑の庭園長の子で、当初は画家志望であったが、造園家の道を歩むようになってからは、建築や各国庭園の研究をはじめ、1650年ごろにはイタリアに旅行したともいわれる。ルノートルの第一作、大蔵大臣フーケのヴォールヴィコントの庭園(Vaux-le-Vicomte)の工事は1656年に開始されるが、すでにここにフランス式庭園の特徴がすべて表現されている。傾斜した地形に階段状で構成されたイタリア式を、平たんな地形に置き換え、それによる変化の乏しさを、規模の拡大やボスケなど新しい工夫で補ったのがフランス式といってもよいが、その力強い軸線と左右対称形での空間的バランス、それにはるかかなたの空へかすむように消える無限大の見通し(通景線、ビスタ)の壮大さは特徴的である。このほかの特徴を挙げると、最低でも数十ha以上という広大な面積、水面比が高い割に花壇など加工装飾部分比率が比較的少なく、樹林地部分が大きい。意匠面では、主軸線上の宮殿から放射状または格子状に園路が幾何学的にはしり、園路で区画された部分は、建築物近くは刺繍花壇や水苑が、遠ざかるに従って芝生花壇やタピベール(緑の絨緞)、それに大規模なカナール(運河)が、各所に彫刻や噴水を伴いながら配される。これらの背後は、マロニエで代表される高木を墻壁風に仕立てたボスケ(叢林)が設けられた。ボスケ内部は、饗宴の場所、快適な樹陰地として独立した小庭園の装いで、フランス式庭園のユニークな細部構成となっている。また、アレーと呼ぶ小道が樹林内を通る。カナールの大きさもフランス式の特徴で、ヴェルサイユ宮苑のグランカナールは十字型で長辺側は幅120m、長さ約1,600mにも及んだ。ヴェルサイユに範をとった様式は欧州各国に普及し、ウィーンのシェンブルン、ポツダムのサンスーシー、ミュンへンのニンフェンブルク、ロンドンのハンプトンコート、ナポリ近くのカセルタ、ぺテルスブルクのぺテルホーフ、それに北京郊外の圓明園などの宮苑を生んだ。 | "