意味 |
(1)歴史と庭園利用:物の影の長さや方向の変化から時刻を知る装置。後に西洋庭園の修景施設として活用されるようになった。バビロニアで使われ始めたのはBC2000年ごろといわれ、樹木・巨石・棒の影を観測した。BC300年ごろカルデアの天文学者ベロススが考案した半球日時計(hemicyclium)は長くヨーロッパで使用され、14?15世紀に一般的に普及しはじめ、16?17世紀には教会・広場・市場などにも設置された。実用と修景を兼ねて庭園にも活用されはじめたのは17世紀末。イギリスのチュ一ドル時代、整形園(formal garden)の代表的庭園添景物となった。イギリスには極めて多く用いられ、日本の近代にも林子平製作の石造大型日時計があり、塩釜神社に現存するという。洋風庭園のなかでは、園路の交差点、広場の中心、芝生園地の一部、亭近く などで、終日日影のない周囲に丈の高い遮へい物のない場所に設置されるのが常識だが、小庭園で単なる装飾としてのみ置くこともある。芝生上で平面形状につくられるものもあるが、普通は高さ1m内外で見下ろせる柱状台石の上に置くものが多い。時刻盤(dial)と針は、ブロンズ・鉛・真鍮製。台座は、大谷石・御影石・小松石・大理石などの石材。その他コンクリート・テラコッタなどが用いられる。花で飾った日時計(floral sundial)もつくられる。(2)日時計の計算:緯度φ・経度Lの地表点に、地球の両極を結ぶ自転軸と同方向の棒を立てる。これは例えば北半球では、鉛直線から真北に90-φだけ傾けた棒となる。地球の半径はその公転軌道の径に比べれば無視してよいから、太陽はあたかも棒を中心に巡り、その影は太陽高度に関係なく同じ視(真)太陽時には一年中同じ方向となる。これが日時計の原理である。時刻盤面が指針を中心とする円曲面であれば、時間当り15度の等分目盛線、平面であれば各種の理論計算により時刻目盛線を割り出す。ただし、この視太陽時と中央標準時(東経135°)の間には、南中から南中までが等しく24時間でないことによる均時差と、経度差(L-135)x4分とに起因する時間のずれが生じる。これを修正した実際の年間の時刻線は曲線状になる。 |