意味 |
1890年代から1910年ごろにかけて、アメリカで華々しく展開された都市美化計画の動きのこと。その発祥は、1893年にシカゴ市で開催されたコロンビア博覧会を契機としている。きっかけとなったコロンビア博は、コロンブスのアメリカ大陸発見400年の記念博であるが、その開催地をめぐって、フィラデルフィア、ワシントン、シカゴが誘致を争った。最終的にシカゴが会場に決定すると、会場の計画者に、当時の都市計画の第一人者であるバーナム(D.H.Bumham)、造園界のトップスターであるオルムステッド(F.L.Olmsted)、それに土木技師のゴットリーブ(A.Gottlieb.)が選ばれた。まず会場敷地の選定は、造園家オルムステッドの意見により、ミシガン湖畔の沼沢埋立地と決まり、1891年に基盤造成を終了、白亜の建築群が広大な池と運河に面して配され、会場の景観は、当時のシカゴ市内とは比較すべくもなく美しくデザインされたものであった。全米各都市から、博覧会に訪れた多くの人々がそれを見て、The White City、TheDream Cityと称賛したという。それほどに、会場は美しい都市で、シビックデザインの正に手本となったのである。その反響を得て、アメリカの主要都市では、都市の美化を目指した都市計画が次々と立案されるに至った。この一連の動向を都市美運動という。しかしながら、この時期のアメリカ都市はちょうど自動車社会に突入したころで自動車社会に対応した街づくりの方が緊急課題として浮かび上がり、都市美運動そのものが、自動車社会への対応不十分な内容であったこと、さらには、当時の最大の都市問題、スラム問題への解決策とはなり得そうになかったこと等が災いして、実際は長つづきしなかった。とはいうものの、これが1800年代後半の公園運動(park movement)につづいて、都市のアメニティ問題に注目した都市計画の方向を示唆したことは事実であり、歴史的にみても都市計画のエポックとして位置づけ可能である。→としび |