造園用語集

昭和時代の庭園


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昭和時代の庭園

項目 昭和時代の庭園 / しょうわじだいのていえん
英語 -
意味 昭和初期には財閥系のみならず実業家等の私邸や政府高官の邸宅に付属した大庭園が経営され、郊外の田園住宅地には小庭園も多量に営まれた。意匠は、伝統的な系譜を基調にモダンな洋風庭園も活用されていた。戦後まもなくは経済事情も悪く、コンクリートブロックやプレキャストコンクリートなどの低価格材料で、芝生中心の戸外室的庭園が工夫される程度がやっとのことで、高度成長後は経済事情は好転したものの、地価の急上昇で庭園面積の確保に困難が生じ、せいぜい生垣とわずかに緑化樹木を植栽する程度になってしまった。こうして、昭和の庭園は、個人の邸宅を主な対象とすることはできない状況となり、美術館や公館、料亭、ホテルや旅館、その他企業、宗教法人など非個人経営の建築付属庭園か、植物園や博覧会記念の公共・公開庭園などが主となってきた。他方、都市公園など公共造園への質的向上要請が高まった結果、公園の一部または全部に日本の伝統的作庭手法が適用されたり、西洋庭園手法が新鮮な意匠感覚を演出するために応用されたりするようになった。なお、海外における「日本庭園ブーム」も、庭園意匠の基調に雑木の庭に代表される二次林風自然が流行したのも、昭和時代庭園史の特筆すべき点であろう。ハワイ大学構内日本庭園(小形研三)、玉堂美術館・芸術院会館・カウラ日本庭園(中島健)、足立美術館・ジュロン日本庭園(中根金作)、サンシャイン60・東池袋公園・在米日本国大使公邸(荒木芳邦)、松下電器本社・平城ニュータウン緑道修景(井上卓之)、北の丸公園・大田黒公園・栃木中央公園・南楽園(伊藤邦衛)、マニラ戦没者慰霊園(池原謙一郎)、京王プラザホテル・日野自動車本社(深谷光軌)、ボン庭園博日本庭園・法輪閣(蛭田貫二)、ホテルニューオータニ・古峯神社(岩城亘太郎)など。
五十音順
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