意味 |
想像上の山須弥山を中心においた仏教の世界観、宇宙観の一つ。須弥山はひときわ高い山の意から妙高山ともいう。須弥山世界を具体的に記述したのは、インド5世紀のヴァスバンドゥの「倶舎論(くしゃろん)」である。これによると、須弥山の下には欲界があって、上から順に大地の地盤である金輪、地下の水層である水輪、地球の中心である風輪となっている。金輪の上には須弥山を含めて九つの山と八つの海、それに四つの洲(島、大陸)がのっている。四つの島はすべて違った形をしていて、須弥山の東方に半月形の勝身(しょうしん)洲、西方に円形の牛貨(ごか)洲、北方に正方形の倶盧(くる)洲、そして南方にはインド亜大陸の形に近い三角形の贍部(せんぶ)洲(閻浮提(えんぶ台)ともいう)、すなわちわれわれ人間の住む世界が位置づけられている。贍部洲の下には八熱地獄があり、須弥山の中腹には四天王がおり、その頂上には三十三天がいる(天は神の意味)。四天王とは、東の持国(じこく)天、南の増長(ぞうちょう)天、西の広目(こうもく)天、北の多聞(たもん)天(=毘沙聞(びしゃもん)天。須弥山頂上の中央には、金(きん)の建物、炉羅綿(とらめん)(雲)の床でできた善見(ぜんけん)城があり、その中心には三十三天の第一人者帝釈天(たいしゃくてん)、Indraの住居である殊勝殿(しゅしょうでん)が宝石で飾られる。善見城の四辺には、衆車(しゅうしゃ)・?悪(そあく)・相雑(そうざつ)・歓喜(かんき)の各遊苑地がそれぞれ四つの遊び場を伴いながら置かれている。また善見城の外、北東隅には円生樹(えんしょうじゅ)があって、花と葉の香りが遠くまで届く。須弥山のはるか上空には、さらに四つの天宮があるが、帝釈天を中心にした須弥山上の世界には人間の理想的環境のイメージが重ねられ、庭園のモチーフに移行する潜在性が垣間(かいま)見られる。また須弥山は、日月がめぐる所であり、諸天の遊弋(ゆうよく)する所、とされてきたことから、外国の使臣接待の宴に須弥山像を築いて内外両者の会遇を日月のめぐりにたとえてもてなしたことも、庭園と結びつく理由の一つであった。「日本書紀」に、「路子工(みちこのたくみ)、芝耆摩呂(しきまろ)、飛鳥河傍に須弥山像を築く(612年)」、「吐火羅(とから)人,甘檮(あまかし)ヶ丘東川上に須弥山を築く(659年)」、「石上池辺に須弥山を築く、高きこと廟塔の如し(660年)」、等の記事があり、甘檮ヶ丘からの須弥山石像は発掘されている。この石像は噴水施設ではないかと思われるもので、当時饗応用の仮設工作物として使われたようである。その後、仏教の興隆に対応して先に挙げた須弥山世界を表現する石組が平安から桃山時代まで仏寺につくられた。京都の龍源院庭園の石組(室町時代)はその典型例である。ひときわ高い須弥山象徴の石は、やや傾斜し、天端が水平で帝釈天が住んでいることをイメージさせ、この周囲に九山八海を象徴する石が中心を包むように配石される。なお、須弥山・蓬莱・三尊の各石組が混用されることも多い。→しゅみせんせきぞう |