造園用語集

芝生


造園用語集

し

芝生

項目 芝生 / しばふ
英語 lawn
意味 芝生とは1種類あるいは数種類の芝草を人工的に群生させ、適宜刈込みなどの管理を行って、地表面を縟密に被覆するような生育を維持し、通常ある程度の広がりをもち平明開闊、運動・休養・観賞・地表面保護等の目的のために利用される場の総称。芝は、奈良時代万葉集に、「たちかわりふるきみやことなりぬればみちの志婆草ながくおいにけり」、「たたみこもへだてあむかずかよはさばみちの柴草おいざらましを」等と詠まれ、また平安中期の和歌、和泉式部日記(1004(寛弘元)?1011(寛弘 8))にも「道芝の露とおきぬる人よりも我が手枕の袖はかわかず」と詠まれているが、これらの表現からはいずれも路傍の草あるいは原野に生い茂る草生地という状態が考えられ、現在の芝生という感覚とは程遠い。庭園の芝生利用をはっきり示した最初のものは、「作庭記」(橘俊綱(1028(長元元)?1094(嘉保元))あるいは藤原良経(1169(嘉応元)?1206(建永元))とされ、庭園に芝を植栽することを、「芝をふせる」と称している。また現在に伝わる芝生として古いものに宇治平等院の「扇の芝」と呼ばれる芝生がある。これは1180(治承4)年に源三位入道頼政が切腹した所といわれている。平安末期より鎌倉・室町の時代にわたって詠まれた和歌に、「今宵寝て摘みて帰らん菫咲く小野のしばふは露繁くとも」(千載和歌集、1186)、「百敷の庭のきり芝ふる雪にこれを限りとぬれし袖かな」(夫木和歌抄、1310)、「冬枯の芝生の色のーとほり道ふみわくる野べの朝しも」(風雅和歌集、1346)、「古郷の庭のしばくさ今はまた忍びてかよう道もたえにき」(宗良親王千首、1346ごろ)等とあり、「芝生」とか「庭のしばくさ」と詠まれ、草の状態ではなく面的な広がりが感ぜられ、自然生のもののほか造成された庭園の芝生も含まれていると思われる。さらに室町時代の公卿の日記「実隆公記」(1474?1533)、「言継卿記」(1527?1576) などに、「臥芝」、「置芝」、「芝畳上」の語が見られ、当時の庭園・築地などに芝植栽のことがうかがえる。なお、安土桃山時代には、「南方録」(1593(文禄2)ごろ)には利休のもず野の露地を述べ「もす野は露地すべて芝生也、とび石なき事相応也」とあり、後代になるに従って芝生は自然生のものから造成されたものにかわってきたと考えられる。「摂陽群談」(1701)には芝を栽培し、切り採って商売したことが書かれている。大槻文彦の「大言海」には、芝生を「芝の生いたる、一面の地。芝原」とあり、自然のものも、人工的に植栽、管理されたものも広く包含している。芝生を定義して、上原敬二は「芝生は今日の庭園ではきわめて普通に見られる地表装飾であり、他方ゴルフ場・飛行場・体育場の築設にあたっても必須のものである。芝生は芝土(切芝)を植えこむものと播芝によるものと2種の方法によって造成されている。切芝や芝種は材料であり、それを巧みに庭園に布置されると芝庭となる」として、もっぱら人工的に造成されたものが芝生であるとしている。北村は「芝生は芝生用植物を植栽する場で、通常ある程度のひろがりをもち上部は開けている、芝生用植物の群生する土地であり、観賞・休養・運動・土留などに使用される」としている。メージョア(F.Major)はlawnを「刈り込まれた状態に維持された草をもっておおわれた表土の部分」と定義し、刈込みを条件としている。なお、人工的に造成された芝生に対して、自然生のものも広義には包含されるが、これは芝地(芝生地・芝自生地)、芝原等と呼んで区別したい。芝生も管理を怠るとぼうぼうとなってその目的を果たさなくなる。芝草は通常イネ科の草本で、日本芝と西洋芝とに類別され、芝生構成材料(芝生用植物)の主体となっている。なお、特殊な場合、リュウノヒゲ・ホワイトクローパー・ディコンドラ等を用いることもある。
五十音順
あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ