造園用語集

国立公園


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国立公園

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項目 国立公園  / こくりつこうえん
英語 national park
意味その国の風景を代表する傑出した自然の風景地で、わが国では環境庁長官が指定し、国が管理する公園。自然公園法に基づいて一定の地域を画して指定される地域制をとっている。国際自然保護連合では次のように定義している。「国立公園は比較的広大な地域で、人為の影響を受けておらず、学術的、教育的興味を持ち、また優れた美しい自然景観を包含しており、国の最高の機関が保護の方策を講じ、利用者は一定の条件のもとで教化の目的のために立入ることが許される地域(1969)」。国立公園の歴史は1872年アメリカ合衆国において、イエローストーン国立公園を設定したのが始まりである。これを契機として各国はそれぞれ国立公園の制度をもつようになった。わが国では1873(明治6)年の公園設置の太政官布達第16号に基づいて従来庶民に親しまれてきた社寺境内地、名所旧跡などを上地させて官有免税の公園としたのが始まりであるが、現在の自然公園に当たる風景地なども含むものであった。その後欧米文化の吸収と国土に対する認識が深まるにつれて、国土の風景を後代にわたって保存し、国民の保健、休養、教化の場とし、あわせて国際的な利用にも供したいという要望が実を結んで国立公園制度が創設された。これより先、1876(明治9)年ベルツ博士が来日するが、彼は、雲仙、草津その他の地区を保養、療養などの見地から利用計画を立てている。1889(明治22)年ウエストン来日し、乗鞍岳、槍ヶ岳に登っており、わが国における、モダンアルピニズムの夜明けとなり、自然公園への一般的な興味を増大するところとなった。一方、在日外国人、一部国民の観光、レクリエーション利用として、日光、軽井沢、雲仙など各地にホテルが建設された。1894(明治27)年「日本風景論」が志賀重昂によって著され、1905(明治38)年「日本山水論」が小島烏水によって著されるにいたり、国民への風景観賞熱は著しく昂揚した。1902(明治35)年松島公園を初めとして、天の橋立、大沼、嵐山、厳島などが県立公園として整備され始めている。1911(明治44)年以降、全国各地から国会に対して公園設置の建議、請願がみられこれに対して1921(大正10)年から内務省が国立公園候補地の調査を始めている。1919(大正8)年史跡名勝天然記念物保存法が制定され、小規模な対象に対して、保護と利用が制度化された。このような世論の中で1927(昭和2)年には日本新八景の選定が、東京日日、大阪毎日新聞社の共催で読者の投票によって行われた。このことは、風景と国民を結ぶことからも、初めての試みとしてその意味は大きい。その後交通の発達、庶民生活の変化によって新しい風景に対する関心はますます高まりがみられるにいたり、そのような世相の中で1931(昭和6)年に「国立公園法」が制定され、具体的に制度と公園の選定が始められた。1934(昭和9)年3月に瀬戸内海、雲仙、霧島が第一次指定に選ばれた。次いで同年12月、阿寒、大雪山、日光、中部山岳、阿蘇が、そして1936(昭和11)年2月、十和田、富士箱根、吉野熊野、大山など12国立公園が指定され、第二次大戦前の国立公園体制は完了するところとなった。その頃、国内外の国立公園への関心がますます強くなり、訪日外国人はそれまでの最高を示した。以後次第に戦争の激化を迎えるとともに空白の時期となる。1946(昭和21)年以降国立公園は観光資源としての指定申請要望となり第二次大戦後の自然公園指定のブームをむかえる。各県の自然公園条例の制定が増加し1949(昭和24)年国立公園に準ずる区域の指定が制度上、可能となりこの区域がやがて国定公園という名称で呼は?れるようになった。1957(昭和32)年国立公園法を革大強化して国立公園、国定公園、都道府県立自然公園を包含する「自然公園法」が制定され自然公園の体系化が著しく進むこととなった。わが国の国立公園の制度の特色はアメリカ合衆国のように国立公園専用の目的に土地を使用することなく、また土地所有に関係なく指定され、農林水産業や鉱業など産業活動も制限を受けつつ共存することである。国立公園の特に優れた地域は、特別保護地区、特別地域、海中公園地区に指定され、同地区内で各種行為を行う場合には事前に許可や認可が必要となっている。1953(昭和28)年以降国立公園の集団施設地区を当時厚生省所管公共用財産として国有地の所管替が行われ、国立公園の利用拠点として機能を発揮することとなった。後にある地区は国民休暇村として有料施設を国民休暇村協会が積極的に整備し、優れた自然環境によって野外レクリエーション利用が図られることになった。1958(昭和33)年国立公園管理員の定員化が認められ、現地管理機構の整備が進められ、国立公園の保護管理、利用者指導に関する現地業務を行うため主要な国立公園に管理事務所を置くと共に集団施設地区を中心に国立公園管理室が配置されて現在ではおよそ100余名に達している。1958(昭和33)年以降、有料道路による道路整備が行われるようになり車道の新設、改良が国立公園内でも盛んに事業化され、日光いろは坂道路、富士スバルラインなどがそれに当たる。それにつれて利用客が多くなる一方、適正な利用を図るため、自然公園利用の啓発と指導を目的に、1959(昭和34)年から第一回国立公園大会が開催され、現在も続いている。さらに自然開発、公害などの顕在化により社会的に自然保護の考えが強くなり、1966(昭和41)年第8回国立公園大会において自然保護憲章制定の要望が出され、主として民間組識によって検討8年後に決定される。良好な自然環境の地域と国立公園、国定公園を歩道によりつなぎ合わせた東海自然歩道が1969(昭和44)年に発表された。このことは人間による新たな利用形式として広く迎えられることとなり全国に5本の路線が整備または整備予定でこれらを合計すると8,634.3kmに及んでいる。国民の自然環境への強い願望の中で環境庁が設置され、国立公園行政は1971(昭和46)年から環境庁自然保護局の所管となる。1972(昭和47)年には自然公園地域に加え、国土の自然環境を維持していくために「自然環境保護法」が制定され、既存の「自然公園法」、「都市緑地保全法」などの実施法と共に自然環境保全基本方針遂行の一端を担うことになる。我が国の自動車化は著しく進み、自然公園の存在にも影響するようになってきた。そこで1974(昭和49)年国立公園内自動車利用適正化要網によって自動車利用に歯止めをかける政策が打ちだされた。同時に国立公園内各種行為に関する審査指針が示され、今までより許可の適否の判断基準が明確にされるにいたった。1975(昭和50)年から今まで指定時に作成された国立公園計画か?公園ごとに再検討が遂次はじまり、保護と利用の調整が図られている。1984(昭和59)年現在の国立公園の現況は指定27か所、面積合計2,024,301haで国土面積の約5,36%、海中公園の指定は10公園、27地区、63か所、延面積1,065.8haとなっている。1982(昭和57)年の国立公園の利用者は約323,133千人である。なお、世界各国に国立公園が設けられて、国際自然保護連合I.U.C.N.が一定の規準に基づいて登録している。このリストによると国立公園および同等保護区ほか3種に分類している。登録している園は99か国、954か所で、合計の面積は236,385,428haとなっており、世界総面積135,830.4km2に対し1.74%となっている。
五十音順
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か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ