意味 |
アメリカ東海岸の諸都市を舞台にして、19世紀後半から20世紀の初めにかけて発生し展開した公園配置の理想とされる計画思想。その基本的な考え方は、都市区域において、個々の公園は単独で散在している場合より、お互いに連結して系統化されている方が、はるかに多くの効果を発揮するというもの。この計画の考え方にたって公園系統が樹立された都市は、カンザスシティ、ミネアポリス、シカゴ、ボストン、クリーブランド、オマハ等である。まずカンザスシティでは、1878年以来、ケスラー(G.Kessler)の指導の下、ブールバールで主要な公園間を連絡する格子状パターンの公園系統を達成し、それまで無名であったこの都市は公園系統により一躍全米で知られるようになった。また、ミネアポリスは今回世界で最も美しい都市の一つに数えられる町であるが、その基礎はクリーブランド(H.W.S.Cleveland)が1886年から計画立案した自然の水系に従った公園系統である。シカゴでは、ジェンセン(J.Jensen)が1880年に公園系統の検討をし、1893年からの都市美運動都市計画の基本体系を整えた。また、ボストンでは、1878年から1895年にかけて、エリオッ ト(C.Elliot)やオルムステッド(F.L.Olmstead)らが公園系統を計画し、パブリックガーデンからジャマイカポンド、アーノルドアーボリータムを経てフランクリンパークに至るボストン市域内の公園系統を樹立し、これは後のボストン広域公園系統(1912)へと展開する。これらの諸都市におけるほか、フィラデルフィアでは1890年代にグロウフォード(A.W.Grawford)が世界最大の都市公園であるフェアマウントパークを中核とするフェアマウントパークシステムを計画している。ところで、公園系統が策定された時期は、アメリカ都市においてちょうど自動車社会への移行期であったがこの公園系統は、そうした社会情勢の変化にも巧みに対応し、系統化のための連絡緑地として、それまて?のブールバールに加えてパークウェーを誕生させた。これにより、公園系統は単に一つの都市区域におさまることなく広域化することになった。ニューヨークを起点とするウエストチェスター郡の公園系統はこの典型で、その計画は1922年から始められ、1930年には全長250kmのパークウェーで郡全体をネットワークする公園系統にまでなった。 |