造園用語集

グリーンベルト


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グリーンベルト

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項目 グリーンベルト / グリーンベルト
英語 green belt
意味都市を環状にとりまく田園地域で、建築に厳しい規制を設けるもの。その目的は時代により異なるが、都市の過度の成長を抑制し、都市と都市とが連担することを防ぎ、それぞれの都市の性格を保持し、また、一部はレクリエーションに利用され、人々にアメニティを与えようとするものである。近代的な意味でのグリーンベルトはイギリスにおいて始まったが、これを緑地帯と訳し、環状のほか、放射状あるいは楔状のもの、また市街地内の線状のものまで含めることもある。アメリカでは、イギリスほどに限定した意味をもたず、緑のオープンスペースをこの語にあてて使用することが多い。グリーンベルト思想の萌芽は、すでに紀元前からローマ時代にかけて存在したが、イギリスでは 16世紀から17世紀にかけ、ロンドン周辺に建築を禁止する地域を設けるよう勅令が出され、疫病が市内に流入するのを防ぐとともに、食糧の供給を確保しようとしている。1661年、イブリン(J.Evelyn)は、ロンドンの周囲にグリーンベルトを設けるよう、1817年、オーエン(R.Owen) は、工業都市の周囲に田園を接続させるよう提案した。1837年、オーストラリアのアデレードでは、都市周辺を公園地でとりまき、植民地計画の先駆的事例となる。ハワード(E.Howard)の田園都市論においても、グリーンベルトはその重要な部分を占めている。20世紀に入ると、幅員0.8kmあるいは0.4kmのグリーンベルトをロンドン周辺に設けようという提案があり、1924年のアムステルダム国際都市計画会議においても、家屋のはてしない連担を防止するため、グリーンベルトを設けることが望ましいと決議(アムステルダム宣言)された。1932年、アンウィン(R.Unwin)は、グリーンガードルの語を用いて、ロンドンの公園地の不足を補うよう提案した。ロンドンカウンティは、この案に基づいて、隣接公共団体と協力して土地の買収に着手したところ、1938年に「グリーンベルト法」が成立したため、この法律によって土地の取得が行われることとなった。アンウィンらの考えは、それらの土地をレクリエーションとアメニティのために利用しようというものであった。ところが、1939年のパーロー委員会では、都市の拡大防止と人口の分散のためという抑制策がとられる。1944年、アーバークロンビ一(P.Arbercrombie)による大ロンドン計画は、ロンドンを幾つかの同心円状の土地利用で構成し、中心市街地とその周辺の郊外を、幅員8kmのグリーンベルトで囲み、その目的の重点を都市拡大の抑制におくとともに、建築を規制することにより、完全に土地を買収しなくともよいということにした。1947年、「都市およひ?田園計画法」が成立し、この法律では、グリーンベルトの目的は、都市の成長を阻止し、隣接する町が大都市に吸収されないようにして町の特色を保持するものとし、レクリエーションとアメニティは付帯的なものとなった。この法律によ り建築物に強い規制が加えられ、1959年までに、幅10?16km、面積840mile2(2,700km2)のグリーンベルトが確保された。1955年、政府はイングランドとウェールズの計画関係当局に通牒を発して、大建ぺい地の阻止、隣接する町の混合防止、町の性格保持のため、グリーンベルトを確保するようにし、これにより、1692年に政府か?承認したグリーンベルトは、サザンプトン周辺、ケンブリッジ周辺、マンチェスター周辺、リバプール周辺など13地域に及んだ。このように、グリーンベルトの目的が、都市の成長の抑制であったり、利用であったりする一方、環状の形態よりも放射状または楔状緑地帯の方が有効であるとする意見、さらに利用に重点をおかない限り、住宅地の圧力に抗しきれないであろうなどという批判か?ある。日本では、イギリスのグリーンベルト思想の影響を強く受け、1939(昭和14)年の東京緑地計画協議会では、環状緑地帯を計画し、1942(昭和17)年の「防空法」に基づいて、家屋連担防止、消防、防火、避難などのため、環状空地帯を設定し、また、1945(昭和20)年の「特別都市計画法」の条文に緑地地域の制度があって、市街地の膨張 の抑制、生鮮食料品の確保などを目的とした。これは、地域制であって、土地を買収せずに所期の目的を達しようとしたが、都市の急激な成長によって、ついに1968(昭和43)年の「都市計画法」で廃止となった。
五十音順
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わ