意味 |
「曲水の宴」、「めぐりのみずのとよのあかり」における場としての屈曲水路。古く中国の周の時代に始まったといわれる儀式で、招魂・慎魂・禊祓(みそぎ)・病疫退散から国力増強の祝儀、さらには曲水の風雅を遊ぶ楽しみに転じたもの。屈曲した流れの前に座り、上流から盃が前にくるまでに詩を作り、流れてくる盃の酒を飲む遊びで、「お流れ頂戴」はこれに由来する。日本でも古く、「485年、顕宗天皇曲水の宴を行う」の記事があり、以後、天皇・貴族・武家の各時代に年中行事として行われてきたことが分かっている。適度に緩い勾配の流れを曲折させる。渠は幅約1m内外、護岸は平石とし、左右両岸に各10名程度が、流れの右岸は左岸より上流は下流よりそれそ?れ上位として座り詩作の場とする。盃は、羽觴(うしょう)と呼ぶ木製の鳥形の台に載せて流す。流速は上流部の流入口に石を置いて調節する。王義之の蘭亭、蘇東坡の?翁亭、泛觴(はんしょう)亭、朝鮮の飽石亭が有名。日本では、飛鳥小墾田宮(おはりだのみや)、や平城宮東院に流盃渠(りゅうはいきょ)を思わせるものが発掘されており、岡山後楽園には流店(るてん) と呼ぶ同種施設がある。詳細な研究データをもとに、加藤退介(1920?1980)が再現した曲水が太宰府天満宮境内にある。 |