造園用語集

イギリス風景式庭園


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イギリス風景式庭園

項目 イギリス風景式庭園 / イギリスふうけいしきていえん
英語 naturalistic English landscape style garden, English garden
意味 イギリスで18世紀初めごろより始まった自然風景式の庭園様式。近代以後の公園設計にも多大の影響を与えた。それまでのイギリスでは、フランス式の影響でイギリス整形式が王侯貴族の宮苑や城館の庭園意匠を支配していた。しかし17世紀にブルジョア革命をなしとげたイギリスの新興ブルジョアジーらにとって、絶対王制の秩序表現としての整形式は受け入れ難く、当時の国土景観がエンクロージャーによって牧場風景を顕在化していたこと、風景画家や田園詩人の輩出と自然美賛歌の世論形成があったことなどを背景に、庭園の整形が徐々にシンメトリーを崩し、次第に本格的な自然風景式へと発展した。最初の契機は「自然のなかには造園の及ばない壮厳があり、庭園は美しいものほど自然に似る(アディソン J.Addison、1712)」や「植物彫刻(トピアリー)は不自然で、イギリスの庭園は自然に反している(ポープ A.Pope、1713)」や「全ての芸術は自然を学ぶことで成り立つ。庭園は束縛から解放された広々とした眺望のよろこびと、自然の広大なひろがりを…(スウィッツァー S.Switzer、1718)」などに代表される職業的園芸家の批評活動として始まった。イングランドの美しい風景を庭にとり入れようと工夫されたハハァ(ha-hah)を周囲にめぐらした最初の風景式庭園ストウ(Stowe)園がブリッジマン(C.Bridgeman)によって建設されるのは1715年からであるが、このころはまだ軸線が通され直線が使われてもいた。ただ、自然の茂みや曲線の小径も添えられたという段階であった。次の段階からは、風景画家の目で絵画的に庭園を構成するようになり、先導者はケント(W.Kent、1685?1748)である。ケントは「自然は直線を嫌う (Nature abhorsa straight line.)」と語り、ケンジントンガーデンズに自然の写実として枯木を植えるまでした。彼はもともとは画家で後援者のパーリントン卿とイタリアを旅行し、古代イタリアの田圃詩の世界にあこがれ、1730年代ラウシャムにつくった庭園でこれを表現した。緩やかなカーブを描く遊歩道、不整形の池、古典的な柱廊、神々やニンフの彫刻、林間に配された神殿など、絵画的に田園の理想を再現した。次いで登場した風景式造園家の巨匠は、ブラウン(L.Brown、1715?1783)で、綽名(あだな)はその口癖からキャパビリティブラウン(Capability Brown)。その土地の可能性をひき出すべく、敷地の高低を生かし、芝生を張って丘や野をつくり、自然樹形で茂みをつくり、その前後に湖や小川を配した。特に水の扱いは他の追随を許さないもので、出世作となったウェークフィールドロッジの池をはじめクルーム、バーレイなど200有余に及ぶ庭園の築造・改作を行った。ただ、ブラウンのやり方は既存の歴史的記念物をとり壊して、園芸趣味(花卉)への配慮もせず、ひたすら周囲の自然と同一化した自然風景式を完成することを目指したため、粗野な自然を強調するだけの没趣味で平凡な田園風景でしかない庭園と批判された。18世紀半ばには東西貿易交流を背景に欧州全体に中国趣味がひろがり、チェンバース(W.Chambers、1726?1796) の「東洋庭園論」は、中国庭園の徹底した絵画構成に学ぶべきことを訴え、自然主義のブラウン派 (Brownist)とロマン主義の絵画派(Picturesque School)の間で、いわゆるピクチュアレスク論争をひき起こすに至る。チェンバースは、キュー王立植物園等に中国風パゴダやギリシア風寺院、ローマ風廃墟、ゴシック様式の装飾を用い絵画的構成を具体的に示し、英中折衷式庭園を完成した。こうした風景式の曲折を見てきたレプトン(H.Repton、1752?1818)は、あくまで自然美を造園の基準としながらも、建築と庭の調和を図るために邸館周辺には、建築的手法を認め花園を配し、離れるに従って自然に調和させる等のバランス感覚を発揮し、風景式を大成した。彼は絵画と造園の相違を論理的に考察し、人間生活の要求を重視したり、施主に対して施工前・施工後のスケッチ(レッドブック、Red Book)を作成したりして、近代的な風景式造園 (Landscape Gardening)を提唱。200を超える作品をつくった。ケント、ブラウン、レプトン三代にわたって大成された風景式は、フランスでルソーの墓で有名なエルムノンヴィル(1778)、マリー・アントワネットのプチトリアノン(1775)、ドイツでスケルがミュンへンに計画したイギリス庭園 (1789)、ピュックラーの計画したムスカウ城(1816)、それに近代アメリカの公園計画へと波及していった。
五十音順
あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ